この希望は失望に終わることがありません。なぜなら私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです ローマ5:5

 私たちの教会は、1956年に第二京浜国道沿いの丘の上に立てられました。これまで地域の方々に、聖書が与える希望を分かち合うことをゆるされ、今日あることを感謝いたします。
 確かに時代は進み、豊かさを享受し、かつて求めてきた理想が現実となってきています。しかし一方、その繁栄の陰で、むなしさと一層の不安が、私たちを喜びのない、希望のないところへと押しやっているような感がいたします。
 私たちの教会は、そういった虚栄と偽りに満ちた社会の中で、「聖書のみことば」が与える真の希望を語り続け、ここに憩いの場があることを、ここにいのちの源があることを、多くの方々に知っていただき、地域の皆さんとともに歩む教会を目指していきたいと願っています。
教会では、様々な定期的な集会、あるいは特別なイベントをもっておりますので、ぜひお訪ね下さい。
心より歓迎いたします。

■横浜教会のルーツ
 基督兄弟団横浜教会の前身は、戦前のホーリネス教団鶴見教会にさかのぼります。
戦後、八王子の大沢忠治郎師が、現在の佐藤熊三兄宅に日曜ごとに来てくださり、礼拝がささげられていました。
その後、神田の基督兄弟団本部教会の副牧師をしていた松本恒夫師が引き継ぎます。
松本師は、神田での礼拝を終えて、旧ホーリネス教団川崎教会の奥村孝三郎兄の一室にて集会を持っていましたが、会堂を建てるビジョンが与えられ、鈴木留蔵兄の協力もあり、1956年6月16日、現在の土地に会堂を建てます。

■松本恒夫師
 松本師は能登半島羽咋市に生まれ、志を立てて大阪の満蒙学校に学びます。そこで、友人に教会に誘われ、イエス・キリストに出会い、献身へと導かれました。東洋宣教会中央福音伝道聖書学校入学を希望し待機してたところ、満州伝道の必要から、旧ホーリネス教会の監督であった中田重治師から直接満州へと派遣され、北満の聖書義塾で中国人とともに聖書の学びをすることとなったのです。
 松本師は、その後洮南の満州キリスト教会できみ江夫人と結婚し、中国人に重荷を持って満州伝道に奔走します。しかし、弾圧、さらに捕虜としてシベリヤに送られ、1947年ナホトカからの最後の復員船で帰国いたします。すでに前年の1946年に旧きよめ教会(旧ホーリネス教会は1933年きよめ教会と聖教会とに分かれた)の牧師を中心として、基督兄弟団が発足されており、そこに加わって牧師としての再スタートをいたします。《著書 大いなる遺産》

■基督兄弟団
 基督兄弟団の発足は戦後ですが、そのルーツは旧ホーリネス教会、さらに、中田重治師とカウマン夫妻から始まった東京神田の伝道館にさかのぼります。すでに日本メソジスト教団の教職であった中田重治師が、アメリカでリバイバルムーブメントに影響を受け、帰国後巡回伝道者として教派を超えた働きをする中、人々がそこに加えられ新しい群れ(旧ホーリネス教会)の誕生となるのです。
 しかし、イスラエル問題をめぐって意見の相違があり分裂、その後戦争に突入し、きよめ教会は日本基督教団の第九部として編入されます。
 そして終戦を迎え、基督兄弟団として発足いたします。

■これからの横浜教会
 1996年、横浜教会は「喜びを分かち合う教会」を理念とし、教会を建て上げていくことを決定しました。
 1998年、横浜教会目的宣言文を以下のように決定しました。
私たちの教会は、聖霊とともに、神のことばと救いの喜びを伝え、イエスに導き、ともに礼拝の中で唯一の神を賛美し、イエスの弟子として整え、主と隣人に仕え、喜びを分かち合うために派遣する。
 2002年、横浜教会は、「礼拝」「成熟」「奉仕」「宣教」を充実させるために、2年ごとに区切って、VISIONに向かっての本格的な取り組みを開始いたしました。
 2005年、横浜教会の理念と目的宣言文を整理し、以下のように改めました。
私たちは、神を賛美し、福音を伝え、弟子として仕え合い、神の国を実現する。

 横浜教会は、セルグループとミニストリーの活動を中心に、一人でも多くの人々を救いに導くために、献身していく群れを目指します。